今日の対応、あれでよかったのかな。
夜、子どもが寝たあとにそんなことを考えてしまう。そんな日はありませんか。
医学的な解説や支援の手引きを読んでも、
肝心の「子ども本人がどう感じていたか」はなかなか見えてきません。
この記事では、発達障害の当事者として子ども時代を経験した筆者が、親にしてほしかったこと・してほしくなかったことを振り返ります。一般論ではなく、一人の当事者の実感として読んでもらえると幸いです。
まず伝えたいこと:発達障害は親の関わり方のせいではない
発達障害は、発達障害者支援法という国の法律の中で、生まれつきの脳の働き方に関するものとして定義されています。育て方や家庭環境が原因というより、脳の特性としての凸凹だと考えられているものです。国立障害者リハビリテーションセンターの発達障害情報・支援センターでも、「親の育て方の問題」という受け止め方を修正していくことの大切さが伝えられています。
もちろん、こうした話を聞いても、日々の生活の中で感じてしまう自責の気持ちがすぐになくなるわけではないと思います。それでも、「原因は自分にある」と決めつけて一人で抱え込む必要はない、ということだけは、先にお伝えしておきたいです。
ただ、この記事を読んでいる親御さんへ一点だけ先に伝えておきたいことがあります。子どもの発達障害について「自分の育て方のせいではないか」と感じている場合、その自責は記事を読み進める前に少し脇に置いてください。
他の子と比べて落ち込んだり、ママ友との会話でつい自分を責めてしまったり、そんな瞬間があったとしても、それはあなたが手を抜いてきたからではありません。原因の医学的な詳細は公的情報の確認後に追記しますが、当事者として言えるのは、親が悩み、関わり方を見直そうとしていること自体が、すでに子どもにとって意味を持つということです。
子ども時代、親にしてほしかった関わり
友達関係のトラブルが起きるたびに、筆者はまず疑われる側にいました。先生からも「またこの子が」という決めつけで話が進むことが繰り返しあり、自分の言い分が最初から聞かれない場面が続きました。
両親は、トラブルの後に謝罪などの事後対応はしてくれました。ただ、先生とのコミュニケーションを増やして学校での状況を把握したり、過ごしやすい環境を作るために働きかけたりすることはありませんでした。
当時は発達障害への社会的な理解が今より薄く、「問題児」として扱われがちな時代背景がありました。両親も「普通の子であってほしい」という思いが強く、本人が何かを抱えている可能性を疑う発想自体がなかったのだと、今は理解しています。
だからこそ、してほしかったと思うのは大きな介入ではありません。「何かあったとき、先生の話だけで判断しないでほしかった」という、それだけのことです。子どもの側の話を、最初の一言として聞いてほしかった。毎日の家事や仕事に追われる中で、そこまで手が回らなかったのかもしれない、とも今は思います。それでも、あの一言だけがずっと心に残っています。
子ども時代の関わりが進路選びにも影響することを、ADHD当事者が体験から語っている記事もあります。→発達障害の子の進路選びで当事者が語る「環境と理解者の重要性」
傷ついた関わり・救われた関わり
家庭の中では、学校での出来事に対する態度を理由に、父親から厳しく叱られることが多くありました。理由を説明する間もなく、態度そのものを強く責められる。そのたびに、次はどう叱られるのだろうという恐怖が先に立ち、家の中でも安心できる場所がないように感じていました。
一方で、忘れられない救いもありました。高校生の頃、学校に通えない時期があり、その間は地域の児童館に毎日通っていました。そこのスタッフの方たちは、私が学校に行っていないことを知っていながら、そのことには一切触れませんでした。
ただ、児童館のスタジオで音楽に打ち込む姿をいつも見てくれて、褒めてくれていました。あるとき、児童館のイベントを手伝ってみないかと誘われたことがあります。後から聞いた話ですが、それは「学校に行けていない自分にも、文化祭のような思い出を残してほしい」というスタッフの方たちの思いだったそうです。イベントが終わった後には打ち上げをしてくれて、たくさんの「ありがとう」をもらいました。
学校の話に一切触れず、ただ今の自分を見て、認めてくれる人がいる。
親に本当に求めていたのは、まさにこうした関わりだったのだと思います。
その体験が心情と成長にどう影響したか
先生に決めつけられたときも、家で態度を責められたときも、根っこにあったのは同じ感覚でした。誰も自分の話を最初から信じてくれない、誰も自分の味方ではない、という孤独感です。学校でも家でも、それが当たり前になっていました。
だからこそ、児童館での関わりが際立って感じられたのだと思います。学校の話に触れず、ただ今の自分を見てくれる人がいる。それは、それまでの自分にはなかった経験でした。あの時間がなければ、「誰にも味方がいない」という感覚のまま大人になっていたかもしれません。
親が今日から見直せる関わり方の気づき
筆者の体験から、親向けの気づきとして整理できることが一つあります。それは「子どもの話を、最初の一言として聞く」という姿勢です。
友達関係のトラブルや学校でのトラブルが起きたとき、先生や相手の親から話が来ると、親はその情報を先に受け取ります。その状態で子どもに向き合うと、どうしても「何があったの?」ではなく「なぜそんなことをしたの?」という問いかけになりやすい。子どもの側からすると、その違いは大きく感じます。
事後対応をしてくれること自体は、子どもにとって「親が動いてくれた」という事実として残ります。ただ、学校での環境や先生との関係に親が関心を持ち、状況を把握しようとする姿勢があったかどうかは、また別の話です。謝罪や収拾だけでなく、「この子が過ごしやすい環境になっているか」という視点で学校側と話してほしかった、というのが当事者としての実感です。
「普通の子であってほしい」という親の思いは、子どもにも伝わります。その思いが強いほど、子どもは「自分がおかしいのかもしれない」という感覚を持ちやすくなります。これは親を責めているのではなく、当時の時代背景もあって仕方のない部分が大きいものでした。周りのママ友の子と比べて、うちの子だけ違う気がする。そう感じた経験がある方もいるかもしれません。
ただ、今の時代に子どもと関わる立場にある人には、「この子が何かを抱えているかもしれない」という可能性を、選択肢の一つとして持っておいてもらえたらと思います。
不登校を経験した当事者が、当時の気持ちから親にしてほしかったことを具体的に語っている記事も参考になります。→不登校経験者が語る「親にしてほしかったこと」
今だから親に伝えたいこと
今、当時の親に一番伝えたい言葉は何かと聞かれたら、迷わずこう答えます。「味方でいてほしかった。」
両親は、何もしてくれなかったわけではありません。学校でトラブルがあれば、相手の親や先生に謝りにも行ってくれました。それでも本当に求めていたのは、そこではなかったのだと思います。
先生に決めつけられたときも、家で叱責されたときも、私の中にあったのは「誰も自分の味方じゃない」という感覚でした。完璧に対応してくれるかどうかより先に、まず「あなたの味方だよ」という前提があるだけで、当時の自分はずいぶん違ったんじゃないかと思います。
一点だけ、今の筆者として言えることがあります。両親が「普通の子であってほしい」と思っていたことは、今では責める気持ちはありません。当時の時代背景の中で、親なりに対応しようとしていたことは伝わっていました。ただ、「この子は何かを抱えているかもしれない」という発想が一つあるだけで、子どもの経験はかなり変わっていたと思います。
毎日の忙しさの中で、完璧な対応なんてできなくて当たり前です。この記事を読んでいる親御さんが、子どもの関わり方を振り返るきっかけになれば十分です。正解を探すより、「この子の話を最初に聞く」という一つの姿勢から、できる範囲で始めてみてください。

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