ADHD・ASD当事者の自己紹介|不登校から障害者雇用・結婚・子育てまで

目次

はじめまして、綴木ナヲです

はじめまして。綴木ナヲです。
私はADHD・ASDの当事者として、発達障害と長く付き合いながら生きてきました。

現在は30代。夫婦共働きで子どもを育てながら、上場企業の管理部門で障害者雇用として働いています。会社では、ガバナンス向上に関する施策を考えたり、社内の管理フローを見直したり、法対応に関わったりしています。今の会社で働き始めて3年目になります。結婚して、親になり、家を購入して家族と暮らしています。

こう書くと、昔から順調にここまで来たように見えるかもしれません。

でも実際には、

いじめ、不登校、通信制高校への編入、発達障害の診断、仕事での失敗、うつ病、転職、就労支援など、

何度も立ち止まりながらここまで来ました。

このサイトでは、そんな私自身の経験をもとに、
発達障害、障害者雇用、働き方、生きづらさ、子育てや親子関係について書いています。

この記事では、私がどんな経験をしてきたのか、
そして今どんな気持ちでこのサイトを書いているのかを、自己紹介としてまとめています。

いじめと不登校を経験した子ども時代

小学生の頃から、今振り返るとADHDの特性と思われる行動が多くありました。授業中に友達と話し続けたり、宿題を忘れたり、整理整頓ができなかったり。周囲の空気をうまく読めないことも多く、先生から毎日のように怒られていた記憶があります。

悪目立ちすることも多く、次第に同級生からからかわれ、いじめを受けるようになりました。学校に行けば無視をされたり、時には暴力を受けたりすることもありました。

当時は「なぜ自分だけこんなことになるんだろう」と思っていましたが、今振り返ると、私自身も無意識に相手を怒らせる言葉を発したり、人との距離感をうまくつかめなかったりしたのだと思います。だからといって、いじめられてよかったとは今でも思いません。

中学2年生になる頃には、それまで我慢していた気持ちが限界になり、学校へ行かなくなりました。ただ、不登校になったことで、初めて自分を苦しめていた環境から距離を取ることもできました。

当時は勉強もほとんどできず、5教科合わせても80点ほどだった時期があります。それでも「せめて勉強だけでも見返したい」と塾へ通い始め、最終的には学年120人中20位、5教科合計380点ほどまで成績を上げることができました。

自分にとって、「努力することで結果が変わることもある」と初めて実感できた経験だったと思います。

不登校だった頃の気持ちや、当時まわりの大人にどう接してほしかったのかは、
不登校経験者として書いた記事でも詳しく振り返っています。

高校でも不登校になり、発達障害と診断されました

高校では環境を大きく変えたいと思い、県外の学校へ進学しました。最初は、電車やバスを使って知らない土地へ通うこと自体が新鮮で、「ここから新しい生活が始まる」とワクワクしていたことを覚えています。

しかし、友達が一人もいない環境や、それまで自分の中で当たり前だったことが通用しない環境に、私はなかなか馴染むことができませんでした。高校1年生の夏頃から再び学校へ行けなくなりました。

その不登校をきっかけに、スクールカウンセラーから大学病院の思春期外来を勧められ、そこでADHDの診断を受けました。

診断を聞いた当時は、自分の中でまったく整理がつきませんでした。「ADHDと言われても、それで何が変わるんだろう」。そんな感覚に近かったと思います。

その後、高校2年生の夏に通信制高校へ編入しました。通信制高校へ移ってからはアルバイトをしながら過ごし、ラーメン屋の仲間と始めたバンドが当時の大きな居場所になりました。

近所の児童館にあるスタジオにもよく通っていました。児童館のスタッフの方が、学校に通えていなかった私のことを気にかけてくれ、夏祭りでバンド演奏をする機会を作ってくれたことがあります。

いじめを経験してから、大人を簡単には信じられなくなっていた自分にとって、この出来事はとても大きなものでした。「自分のことを見てくれている大人もいるんだ」と思えたことが、その後の専門学校への進学にもつながりました。

ADHDと診断されたあと、実際にどんな治療や服薬を経験してきたのかは、
診断後の治療についてまとめた記事に書いています。

社会人になって、発達障害の難しさを強く感じるようになりました

専門学校を卒業した後は、ホテルに就職しました。
社会人になってから、学生時代以上に自分の特性を意識するようになりました。

  • 同じようなミスを繰り返してしまう
  • やるべきことを忘れてしまう
  • 軽率な発言で相手を怒らせてしまう
  • 周囲が普通にできていることが、なぜか自分には難しい

当時の私は、それをすべて自分の努力不足だと思っていました。「ADHDなんだから、人より頑張らなければいけない」。そう考えて、自分を必要以上に追い込むようになりました。

その結果、うつ病を経験し、約2年間働いたホテルを退職しました。その後は転職を繰り返し、自分の人生がどこへ向かっているのか分からない時期もありました。

今振り返ると、この頃の私は「周りに馴染むこと」や「普通に見られること」に必死だったのだと思います。周りに合わせること自体が悪いわけではありませんが、自分の苦しさまで隠してしまえば、いつか無理がきます。

主治医とのやり取りの中で、初めて自分の口から「辛い」と言えた経験は、今でも覚えています。自分の気持ちを認めることは、思っていた以上に難しいことでした。

仕事でミスを繰り返していた頃のことや、そこから考えるようになった対策については、
ADHDと仕事のミスについての記事で詳しく書いています。

就労支援を経て、障害者雇用で働くようになりました

仕事を続けることに難しさを感じる中で、私は就労支援を利用しました。
就労支援を経て就職し、その後さらに2度の転職を経験しています。

現在は上場企業の管理部門で、障害者雇用として働いています。会社のガバナンスをより良くするための施策を考えたり、管理フローを見直したり、法改正などへの対応に携わったりしています。今の会社で働き始めて3年目になりました。

このサイトを始めた頃の私は、障害者雇用という働き方にたどり着いたことで、「やっと自分なりの答えを見つけた」と感じていました。

でも今振り返ると、あれは答えではなく、ようやくスタート地点に立っただけだったのだと思います。

自分に合う働き方を見つけても、発達障害との付き合いが終わるわけではありません。昔より対処できることは増えましたが、年齢を重ねる中で以前より強く感じる特性もあります。

仕事と子育てを両立する現在は、服薬の影響も含めて体調管理を常に意識しながら生活しています。

障害者雇用で働けるようになったから「発達障害を克服した」のではありません。
今も発達障害は生活のすぐ隣にあります。その中で、自分に合う方法を探しながら働き続けています。

一般雇用ではなく障害者雇用を選んだ理由については、
障害者雇用を選んだ3つの理由で、当時の気持ちも含めて書いています。

結婚して、「自分一人で生きる」から「誰かと生きる」へ

その後、私は結婚しました。一人暮らしをしていた頃は、まず自分自身の生活を安定させることを意識していました。自分で働いて、自分で生活して、自分のことを自分で管理する。私にとって、一人で生活することは「地に足をつけて生きるための土台」を作る時間だったように思います。

でも、結婚すると自分のことだけを考えて生活するわけにはいきません。自分の気持ち、仕事、体調だけではなく、相手の気持ちや生活も考えながら、限られた気持ちの余裕をバランスよく振り分けることが大切だと気づきました。

インターネットでは、「発達障害があると結婚は難しい」といった言葉を見ることがあります。もちろん、発達障害の特性によって夫婦生活の中で難しさが生まれることはあると思います。

それでも、実際に結婚して感じるのは、思いやりや相手を大切にしたいという気持ちは、発達障害の有無だけで決まるものではないということです。障害による難しさと、一人の人間として相手を思いやることは、分けて考える必要があると思っています。

子どもが生まれて、「人生の2周目」を歩いているように感じます

子どもが生まれてから、自分の人生の見え方も大きく変わりました。
今の私は、ときどき「人生の2周目を送っているような感覚」になります。

子どもの姿を見ていると、自分が同じくらいの年齢だった頃のことを思い出します。
そして、「あの頃の自分を育てていた両親は、大変だっただろうな」と考えることが増えました。

子どもだった頃には理解できなかった両親の気持ちを、親になった今になって少しずつ想像できるようになった気がします。もちろん、親になったからといって、自分の過去にあった出来事をすべて肯定できるようになったわけではありません。

それでも、子どもだった頃の自分、親になった今の自分、自分を育てた両親を見る自分。
以前は持っていなかった複数の視点から、親子関係について考えるようになりました。

もう一つ大きく変わったのは、頑張る理由です。これまでは「自分が自立して生きるために頑張る」という気持ちが中心でしたが、今はそこに「子どものため」「妻のため」という理由が加わりました。

発達障害による難しさがなくなるわけではありません。それでも、障害だけを理由にすべてを諦めるのではなく、家族のために今の自分に何ができるのかを考える。親になったことで、「誰かのために頑張る」という価値観を改めて教えてもらったように思います。

子どもだった頃の自分、親になった今の自分、自分の親への気持ちは、子育てと親子関係を3つの視点から整理した記事で、もう少し掘り下げています。

昔の自分には、家を買って暮らす未来も想像できませんでした

現在は、家を購入して家族と暮らしています。家を買うことも、昔の自分にはまったく想像できませんでした。

少し前まで、実家で過ごしながら転職を繰り返し、この先の人生がどうなるのか自分でも分からないような時期がありました。そんな自分が結婚し、子どもが生まれ、今は家を購入して暮らしています。

「発達障害がある自分でも、ここまで生活の土台を作ることができたんだ」という意味では、一つの自信にもなりました。

ただ、これは自分一人の力でできたことではありません。家を購入するまでにも、周囲の人からさまざまな助言や支えをもらいました。仕事も結婚も子育ても、同じだと思います。

誰かの支えがあったことを抜きにして、自分だけの努力でここまで来たとは思っていません。それでも振り返ると、「一人の人間として、自立して生きていきたい」という気持ちだけは、うまくいかない時期にも手放さなかったように思います。

大きなことを成し遂げてきたわけではありません。ただ、その時の自分にできる最低限の努力を続けてきたことが、今の仕事や結婚、子育て、家を持つ生活につながったのかもしれません。人生は、本当に何が起こるか分からないものだと感じています。

今は、発達障害を「良い」「悪い」だけでは語れません

このサイトを始めた頃の私は、発達障害について、今よりも分かりやすい答えを出そうとしていました。昔の記事では、「発達障害は個性だ」「自分が輝ける場所を見つければいい」といった言葉も書いていました。

その考えがすべて間違っていたとは思っていません。でも、今の自分はもう少し複雑に考えています。

発達障害があったからこそ出会えた人や経験もあります。一方で、発達障害がなければ経験しなくてもよかったかもしれない苦しさもありました。だから今は、発達障害を「良かった」「悪かった」と単純に答えることはできません。

障害者雇用で働き始めた頃は、ようやく人生の答えにたどり着いたと思っていました。でも今は、あれが本当のスタートだったのだと感じています。

振り返れば、昔の自分は一人ではありません。いじめられていた自分、学校へ行けなくなった自分、診断を受けて戸惑っていた自分、仕事で失敗を繰り返していた自分、自分を守るために逃げることを選んだ自分。その時々に、たくさんの自分がいました。

今の自分から振り返れば、その時の自分なりに、人として生きていくために必要なことをしていたのだと思えます。頑張ったことも、自分を守ったことも含めて、今の自分から見れば必ずしも間違ってはいませんでした。

ただ、本当の人生の答え合わせは、今ではないとも思っています。もっと先の自分が人生を振り返ったとき、ずっと隣り合わせだった「発達障害」という事実がどう映るのか。その答えは、今の私にも分かりません。

だからこそ今は、発達障害を「良い」「悪い」と決めるのではなく、その時々で自分が何を感じ、どう生きてきたのかを残していきたいと思っています。

このサイトを書き続けている理由

このサイトを始めた頃から、「誰かを救うきっかけになりたい」という気持ちは変わっていません。ただ、「誰に、何を届けたいのか」は少しずつ変わってきました。

今の私は、誰かの人生を代わりに変えることはできないと思っています。大人になれば、最後に選択して行動するのはその人自身です。私が経験談を書いたからといって、その人の人生を変えられるわけではありません。

でも、何かを変えたいと思っている人に、「こんな選択肢もある」「こういう生き方をした人もいる」と伝えることはできます。私は、そのための「きっかけ」を残したいと思っています。

そして今、以前より強く届けたいと思うようになったのが、発達障害のある子どもと、その子を育てている親です。

子どもだった頃の私は、自分で環境を変えることも、自分の気持ちをうまく説明することもできませんでした。親になった今だからこそ、当時の子ども側の気持ちも、育てる親側の気持ちも、以前とは違う角度から考えられるようになりました。

発達障害の子どもだった自分の経験を伝えることで、親に一つでも多くの選択肢を渡せるかもしれない。そして、これから育っていく子どもが、私と同じ場所で同じように苦しまなくて済むきっかけを作れるかもしれない。

そう思うことが、今このサイトを書き続けている大きな理由の一つです。

このサイトで書いていること

このサイトでは、主に私自身の一次体験をもとに、次のようなテーマについて書いています。

  • 発達障害・ADHD・ASD
    診断を受けた経験や、日常生活で感じる特性、生きづらさについて。
  • 障害者雇用・就労支援
    就労支援を利用した経験、障害者雇用で働くまでの過程、実際に働いて感じることについて。
  • 仕事・働き方
    仕事でのミス、転職、自分に合う働き方を探してきた経験について。
  • 子育て・親子関係
    発達障害の子どもだった自分と、親になった現在の自分、そして自分の両親を振り返って感じることについて。
  • 生きづらさと暮らし
    体調管理、自立、家庭を持つことなど、発達障害とともに生活していく中で感じたことについて。

まだ、人生の答え合わせの途中です

昔の自分が今の生活を見たら、たぶん驚くと思います。学校へ行けなくなり、発達障害と診断され、仕事が続かず転職を繰り返していた自分が、今は仕事を続け、結婚し、子どもを育て、家族と暮らしています。

だからといって、「努力すれば何でもできる」と言いたいわけではありません。自分一人ではどうにもならなかったこともありますし、周りの人に助けてもらったこともたくさんあります。今でも失敗しますし、発達障害の特性に悩むこともあります。

それでも、「一人の人間として自立して生きていきたい」という気持ちを持ちながら、その時の自分にできることを少しずつ続けてきました。

そして今は、自分一人のためだけではなく、家族のため、これから育っていく子どもたちのために、自分の経験を残していきたいと思っています。

私はまだ、人生の答え合わせの途中です。だからこそ、この先も発達障害と隣り合わせに生きながら、その時々で感じたことや経験したことを、この場所に綴っていきます。

私の経験が、どこかで悩んでいる誰かにとって、次の一歩を考える小さなきっかけになれば嬉しいです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

高校2年生の不登校をきっかけに、スクールカウンセラーの勧めで大学病院を受診し、発達障害(ADHD)の診断を受けました。

その後、専門学校を卒業して社会人になるものの、働き方や人間関係につまずき、一時期は社会から距離を置くような引きこもり期間も経験。

就労支援事業所への通所を経て、現在は上場企業のオープンポジション枠で、障害者雇用として管理部門に勤務しています。

今は発達障害と向き合いながら、結婚・子育て・マイホーム購入・住宅ローン返済中のリアルな日々を過ごしています。

このブログでは、不登校・いじめ・就職・障害者雇用・制度活用・子育て・暮らしの工夫など、これまでの経験をもとに、同じように悩む方やご家族に向けて発信しています。

コメント

コメント一覧 (12件)

コメントする

目次