「発達障害と10年向き合った経験から、発達障害で苦しむ多くの方を救うきっかけとなりたい」
はじめまして、たかちゃんです。
私は、発達障害ADHDと診断され、社会人でうつ病を経験した20代後半の社会人です。
発達障害の診断から10年という節目をきっかけに、私が、発達障害やうつ病と向き合い、挫折した経験や教訓となった経験を、多くの障がいで悩み苦しむ方に寄り添い、気持ちを救うきっかけとなるようなことがしたいと思い、ブログを始めることにしました。
初回投稿とあって文章がぐちゃぐちゃで伝わりづらい表現になっているかもしれませんが、今回は簡単に発達障害と向き合って感じたことを書きたいと思います。
それでは、どうぞ!!
「小学生の頃から悪目立ち、勉強も全然できない」
小学生の時からADHDの兆候が出ており、授業中に友達と話し続けたり、宿題を忘れたり、整理整頓も出来ず先生からは毎日のように怒られる日々を送っていました。
悪目立ちすることで、同級生にはからかわれることが多く、それがエスカレートしてイジメが始まりました。学校に行くとクラスメイト全員から無視され、時には身体の大きい同級生に理由もなく暴力を受けていました。
今思うと、無意識的に相手を怒らす言葉を発していたことが原因だったのではないかと感じます。
中学生になってもイジメはなくなりませんでした。
中学2年になり今まで我慢していた気持ちが爆発し学校に行かなくなりました。
勉強もまともに出来ていなかった為、先生からは落ちこぼれ認定を受け、イジメている生徒よりも私に責任があると言われたときは、中々落ち込みました。
「絶対にこいつらを見返してやる…」
当時は、勉強も学年で最下位で5教科合計がなんと、「80点!!」
そりゃ落ちこぼれ認定されますよね(笑)
不登校になった後、せめて勉強だけでも見返してやりたいと思い塾に通い始めました。
塾に通ったかいもあり、その後の成績は学年順位が「120人中20位」「5教科合計380点」まであがりました。
他にもすごい方は大勢いますが私にとっては初めて勉強で嬉しかった瞬間でした。
自分の環境を大きく変えたい気持ちから、高校進学は県外の高校に進学しました。
ですが、その選択はADHDの私にとっては超えることが難しい大きな壁となりました。
「高校生活に馴染めず2年生で通信制へ編入 その後発達障害の診断を受ける」
当時県外の高校に行く人は私の環境ではいませんでした。
入学当時は、乗り慣れない電車・バスを使って登校することが楽しくワクワクした気持ちを持っていました。
ですがワクワクした気持ちは次第になくなってきました。
一番の要因は、クラスメイトから田舎者扱いされ学校に中々馴染めなかったことでした。
ADHDにとって、新しい環境の変化が多すぎることに適応するには時間がかかります。
友達が誰もいない環境や、自分が当たり前と思っていたことが当たり前でなかったことです。
中々馴染めない日々が続き、高校1年の夏から学校に行く気持ちが切れてしまい不登校になりました。
「もっと頑張れよ!!」と言いたくなりますが、それが当時の自分が出した自分を守った行動であるため結果的によかったのかな?と今では考えられます。
不登校がきっかけとなり高校のスクールカウンセラーの勧めから大学病院の思春期外来を受診した時にADHDと診断を受けました。
初め聞いたときは、「????」状態で全く受け入れることが出来ず、しばらく、家に引きこもっていました。
不登校が続き、高校2年の夏単位の関係もあり通信制の高校へ編入することになりました。
単位も卒業できる分は確保出来ていたこともあり、残りの1年半はスーパーアルバイターになっていました(笑)
週7日でラーメン屋とホームセンターのアルバイトを掛け持ちをしており、当時のラーメン屋のバイト仲間と始めたバンドがその当時の生きがいでした。
幸いに、地元に合った児童館にスタジオがあり高校生までは無料で使えるということで
毎日昼間のバイト終わりはスタジオに通っていました。
児童館のスタッフの方は、自分が高校に通っていないことを知っていて、
高校最後の思い出として、児童館の夏祭りイベントの中でバンド演奏をしてみないかとお誘いして頂きました。
毎日スタジオに入る前、遊びに来ていた子供たちとドッチボールをしたり、本を読み聞かせしたりと、子供たちからはスタッフと間違えられるほどでした(笑)
そんな姿を児童館スタッフは見てくれていたらしく、高校生で1つでもいい思い出を作ってほしいという気持ちからバンド演奏のお誘いをしてくれました。
それまでは、いじめの時の先生の対応から、大人を信じることが出来ずにいましたが、
この出来事から、大人を信じる気持ちが持てるようになり、専門学校への進学を決めました。
「周りに馴染むことを覚えるも中々馴染めない専門学校」
専門学校は、音楽関係の専門学校に進学を考えていましたが、たまたま足を運んだ旅行系の専門学校に心を奪われ進学を決めました。
元々幼い頃から旅行が好きで、不登校中もテレビで海外の観光地映像をみて心を癒していました。
多分その理由は、現実逃避ができるからだと思います。
入学当時は、久しぶりの学生生活で戸惑いが隠せず、周りに馴染むことに時間がかかりました。
女性が多い環境ということもあり、クラスメイトから浮いていたのは間違いないと思います。
その中、限られた男友達が少しづつ出来るようになりました。
それは、高校のバイト生活で培った「周りに合わせる」ということです。
多分、併発しているASDの影響もあると思いますが、自分の意見を押し通す特性が昔からあった為、周りから煙たがられる存在だったということに気づいたことがきっかけでした。
ですが、その行動はこの先、いい意味でも悪い意味でも強く影響してしまうきっかけにもなりました。
「社会人になりADHDの特性に苦しめれる 二次障害のうつ病を発症」
専門学校を卒業して、ホテルマンになりました。
両親がホテルマンだったこともあり、憧れも少しあったためその道を選びました。
社会人になり初めてADHDを気にするようになりました。
「ミスを繰り返してしまう」
「オーダーシートを出し忘れてしまう」
「軽率な発言で上司を怒らせてしまう」
このようなのADHDの特性が度々出ることで悩みが募り生きにくさを感じておりました。
出来ない理由は、全部自身の力不足と思っており、気づかぬうちに自分自身を追い込んでいました。
ADHDで生きづらさを感じることが増えたことがきっかけで、改めて通院することを決意し
薬の服薬やカウンセリングをうけることで対処を試みていましたが
「周りが出来ていることがなんでできないんだろう」
「努力が足らないからだ」
「ADHDって言われたから人並み以上に頑張らないと」
自分を追い込みすぎた結果、うつ病を発症してしまい今まで出来ていたことも思い通りにいかない
日々が増え、最終的に自責の闇に飲み込まれていました。
うつ病を発症してしまい、2年間務めたホテルを退職し、その後は、転職を繰り返してしまいました。
転職を繰り返してしまっている私に主治医が言った言葉は、
「たかちゃんはADHDじゃないよ」でした
初め言われたときは、「??????」の状態でした。
これは、専門学校時代に、周りに合わせようとする気持ちから本心を隠して人生を過ごしてしまっている私に主治医が私の本心を引き出すためにかけた言葉です。
その時初めて「辛い…」と口にすることができました。
また、辛いを口にすることがこんなにも難しいことなのかと感じた瞬間でした。
「発達障害とうつ病と向き合って改めて感じること」
現在は、自分を大切にする生き方を選び、就労支援事業所へ通所しIT企業の人事部で働いています。
正直障害特性の対処法が身についてはいるものの、まだ色々やらかしています(笑)
過去は障害を理由に自分を追い込んでしまっていた自分がいましたが、出来ない理由を障害を理由にしては何も解決しないことに気づき、一人の人間として向き合わなければいけないことに目を背けることをやめ、出来ない自分も自分と受け入れるようになりました。
当たり前と思っていたことが当たり前でないこと、その気づきを発達障害とうつ病を発症して学ぶことが出来ました。
「発達障害は何よりも輝ける個性」
発達障がいは他にない唯一無二の個性ではないでしょうか。
発達障がいと診断され悲観的になる必要はないと思います。
今思うと幼い頃から現在まで、自分の個性に救われることもありました。
「誰よりも人が喜ぶことをするのが好き」「困っている人には寄り添って自分の出来ることはしたい」
私にとってはこれが誰にも負けない個性です。
皆さんが思う個性とは少し違うとおもいますが、「どう思うか」「どうしたいか」が私にとって個性を決める軸となっています。
発達障害も個性です。
その個性を活かすためには自分自身が輝ける居場所づくりが一番大切だと感じています。
その為には、是非自分を大切にしてください。
必ずあなたが輝ける場所は見つかりますよ。
私の大好きな言葉は「はみ出して馴染め」です。
これは、私が大好きなONE OK ROCKさんの曲のタイトルです。
人間・個人、一人ずつ違うからこそ、どう思うか?どうしたいか?を大切にして
自分自身の個性を活かして人生を楽しむことが一番だと思います。
これからも発達障がいと寄り添って10年間で感じたことを書きたいと思います。
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